徳和坂を下り金剛橋を渡って徳和綴をすぎると下村
そして次の在所は上川です
街道の北側にひときわ大きな常夜燈が見えます この辺りから上川です
常夜燈の正面には『三社燈籠 万人講』 裏に廻ると『干時天保二年 丙申九月吉日』とあります
上川村には文政七年(1824)に参宮の旅人への接待所が建てられています
松阪の紀州藩勢州奉行所の指図であったのか 街道沿いの商人による施行であったかはわかりませんが お蔭参りの起こる「お陰年」は60年周期でやってくると考えられていたので 明和八年(1771)のお蔭参りから60年後の天保二年(1831)という年も意識した処置だったろうとおもいます 先ほど見た常夜燈の建立が天保二年であったことも このお蔭参りと関連したものだとおもいます
実際にお蔭参りはその前年文政十二年(1830)から始まりました 文政のおかげまいり と呼ばれています 文政のお蔭参りには日本人の六人に一人が参加したした計算になるようで 宮川の渡しを一日に23万人が渡ったといいます 道幅二間ほどの街道をひしめき合うように人が通ったのでしょう 松阪では道を渡って向かいの家に行くことすら難儀した言われています
さて 上川の在所のほぼ真ん中に鎮座する八柱神社
参道入口に青面金剛さんの祠がありました
左手に三股叉 矢 金剛杵でしょうか?
右手に宝輪 弓 人かな?
邪鬼を踏んで 足元に三?猿
庚申さんの日は60日に一回巡ってきます 60年に一回巡ってくるお蔭参りと何か関連があるのでしょうかね 青面金剛さんは猿田彦さんとの習合も考えられるので 道中安全などの意図もあったでしょうか 街道から見える庚申さんを眺めながら想像が飛躍してしまいます
八柱神社から少し先に進むと側溝のたもとに置かれた石 この辺りの伊勢街道沿いの在所は 何本かの水路が街道と直角に交わっています そのような場所に常夜燈があったり このような石が置かれていたりして 道切りの結界を守っているようですが そんな所で普通よく見かける山神さんや地蔵さんはかなり少なく感じます
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