光安寺の青面金剛 松阪市保津町

松阪市保津町 ほうづちょうと読みます
細い道を在所の中ほどまで入っていくと 天香山神社があります
奈良樫原にある天香山神社の末社でしょうか 各地に沢山あるって訳でもなさそうですが
その宮さんの隣の光安寺です

境内に入ってすぐのお堂で 青面金剛さんを見つけました

アーチ型の石板に外枠を彫り窪めて その中に三面六臂の青面金剛が薄肉彫されています

頭上に瑞雲のついた日月
右手に剣? 三叉戟 多分箭
左手に人 宝輪 弓を持っています
踏みつけられている鬼の下に 猿が一匹と鶏が一羽のようです

側面に刻銘が見えます
元禄十六癸未歳
十一月吉日

隣の庚申碑

保津町の辺りは名張藤堂家の伊勢領だったところで ここ光安寺の隣が代官所のあった場所です
そういえば昔 父が福井文右衛門の話をしてくれたことがあります
福井文右衛門は名張藤堂家伊勢領の初代代官で ここ保津町の代官所に赴任していました
当時この保津町の東隣の出間村は 田畑に水を入れる用水の水量が乏しく 村人は大変困窮していました 水路を開くにはどうしても機殿神社境内を通す必要がありますが 神域を侵すことは厳しく禁じられています 慶安三年五月二十日の夜 文右衛門は村民総出で神社境内の東側に水路を掘ることを命じます その結果 幅1メートル長さ220メートルの水路が完成しますが 文右衛門は神域侵犯の罪を負って切腹しました
松阪にも偉い人がいたのですね

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