明野庚申堂の青面金剛 伊勢市小俣町明野

明野の庚申堂に立つ「徳浄上人千日祈願の塔」です

徳浄上人千日祈願の塔
 むかし、一人の僧が勢州明野の庚申堂を霊場(根城)として修行していたという。
 天保の頃、村が大飢饉にみまわれ、悪疫大流行、世情騒然となったとき、この僧が村民の窮状を救わんものと伊勢両神宮に千日の間、村民の無事息災祈願のため素足で日参された。
 その後、明野村は疫病もなく、盗難、火災もなく永安に暮らすことが出来たという。この僧の名を徳浄光我商人といい、千日祈願の徳を称え、明野や宇治山田の人々が世話人となって建立したものである。
 裏面に満業、天保七年(1836)丙申年三月廿九日とある。
一九九四年八月
伊勢市教育委員会

現地案内板より引用しました

徳浄上人は専ら庚申さんを信仰していたということなら 修験の僧だったとおもいます 江戸前期までは修験系僧侶の御師も多くいたそうですから 僧侶と神宮という間柄も 今想像するよりもは近いものだったかもしれません それでも 僧形の参詣は島路川を越えた風日祈宮あたりの遥拝所からだったといいます 芭蕉も「髮なきもの」=僧形という取扱いで 正殿での参拝ができず 野ざらし紀行 の中で嘆いています

腰間に寸鉄をおびず 襟に一嚢をかけて 手に十八の珠を携ふ 僧に似て塵有 俗にして髪なし 我僧にあらずといへども 浮屠の属にたぐへて 神前に入る事をゆるされず

僧に似て塵有 俗にして髪なし 芭蕉は面白いですね

話しが脱線していますが 村民の無事息災を祈願して 片道10キロ以上の道のりを 1000日間通ったという徳浄上人を顕彰する石塔が建つ場所の奥に 庚申堂があります

格子戸の中を覗くと 小ぶりな一面六臂の青面金剛さんです

頭上に瑞雲を付けた日月
右手にたぶん剣と 三叉戟と 箭
左手にたぶん人と 宝輪と 弓
足元で鬼が踏まれていいます

伊勢街道に沿って へんばやさんのあたりが明野の南の口ならば このあたりが北の口に当たりますか? 塞の神の役目を負ってこられたのでしょうね

コメント

タイトルとURLをコピーしました